悖徳


 気付いた時はもう手遅れだった。

 こうなる前に気付いていたら回避できていただろうか。


 僕の問いかけに、もうひとりの僕は答える。

 ――どちらにしても俺らは出会い、こうなる運命なんだよ、輝(てる)。



 ◆◇◆◇◆


 僕の母が父と離婚したのは、僕が物心ついた頃だった。

 微かに覚えている父親の面影。

 だけど父親と過ごした年月の倍過ぎて、またその倍が過ぎる頃には、もう顔すら思い出せなくなっていた。

 僕が高校に入った頃――


「なあ、桜井。おまえってひとりっ子だよな」

 その年の秋、高校に入って始めての文化祭。

 文化祭の実行委員になっていた木下が突拍子もない質問をしてきた。

「どうだろう。昔に母が離婚しているから。もしかしたら、兄弟がいるのかもしれない」

「かも、しれない? なんだ、そりゃ」

「なぜか母は、昔を話したがらない」

 夫からの暴力でもあったのだろうか。

 母はひとりで僕を育て、僕が中学を卒業した時に旅立っていった。

 遠いところ。

 僕がそこに逝けるのは、もっと先。

 それまで、ある年齢以前の僕を知ることは出来ない。

「ああ、そうなんだ。いや、さ。世の中、自分と似た人って三人いるって言うだろ。似ているンだよ、おまえに。もう少しおまえを男らしくした感じが、そっくりだ」

 男らしく――その言葉は学校に行くようになってからどれだけ聞いたことか。

 母ひとり子一人。

 母が働いている代わりに僕が家事をする。

 言われたわけじゃなく、自然とそういう役割分担が出来ていた。

 自然と身についていく主婦業。

 それに伴ってか、僕は年相応より細くて小柄。

 だからと言って、女性のような細さがあるわけでもない。

 木下の言う、僕にそっくりな人。

 興味がなかったわけじゃない。

 だけど、会ってみたいと、この時は思わなかった。

 適当に木下の誘いを断り、僕は人の群れから離れるように学校の裏へと足が向く。

 そこが特に気に入っている場所というわけでもない。

 だが、先入観でそこは人があまり寄り付かない場所だと脳にインプットされていた。

 多分、そういう場面が当然のように娯楽作品に使われているからだろう。

 樹齢どれくらいの木だろうか。

 どっしりとした大木に背中を当て、僕は肩で息を吸い込み、大きく吐いた。


 ――と、その時。

 自然に重なるもうひとつの吐息。

 僕の他に人がいる。

 ドキリと心拍があがり、身体が大木から離れ振り向くと、僕が背もたれにしていた反対側にその人はいた。

「悪い。驚かせたか?」

 その人は僕に驚くこともなく、そうやって僕を気遣ってくれた。

 それが出会い。

 きっと、これが運命――



 ◆◇◆◇◆


「どうした?」

 乾ききっていない髪の毛が垂れ下がり、顔を少し隠す。

 その髪の毛をウザったそうにかき上げる仕草が似ていると思った。

 ――桜井、おまえに似た人がいる。

 昔、旧友の木下が言った言葉が脳裏を掠めた。

「やっぱり、似ているのかな……って」

「ん? 輝と俺? そりゃ、おまえ……俺たちって――」

 そこまで言いかけた彼の唇を、僕は手で阻止した。

 正直、聞きたくない。

 そこから先、改めて言われると罪の重さを感じずにはいられない。

 背負う十字架の重みを感じながら、あなたの腕の中にいられる程、僕は強くないから。


「お父さんの仕草に。僕が知るお父さんの仕草って、そうやって髪の毛をかき上げる仕草だから」

「そうか? 俺は気にしていなかったけど」

「そりゃ、兄さんはずっと一緒だったから」

「兄さん――か。そう呼ばれて嬉しく感じたことはないけど、おまえは俺に兄でいて欲しいわけ? こうして俺の腕の中で俺を感じながら、輝は俺を兄としてしか見ていないのか?」

 見透かされていると思った。

 でも、そういうわけじゃない。

 この二年という年月が、あなたを兄と呼ばせている。

 二年前、文化祭で出会って、引き合うように惹かれて肌を重ねたあの日。

 あなたが卒業して、その年の春、僕はあなたの家を尋ねた。

 僕の記憶の中から消えかけていた父親の面影。

 まさか、こんな形で再会してしまうとは。

 神とはなんて悪戯をしてくれるのだろうか。

 今更この人を兄と呼べというのか?

 再会した父親の願いで、三人で会う回数が増える。

 その度に兄と呼ぶ回数が増える。

 兄と呼ぶことに抵抗が感じられなくなった日、僕らを引き離す者が亡くなった。

 健(たける)――心では何度も呼んでいるのに、口から声になって出る言葉は違う。


「悪い。俺が悪かった。出来るだけ直すから、出来るだけ兄とは呼ばないでくれ」

 切なそうな表情を見せ、腕の中に抱きしめられると直接この人の感情が流れ込んでくるような気がした。

「今更、そんなこと言わないでよ。僕がどんな思いで兄と呼んでいたか……」

「だから、悪かったって」

「謝らないでよ。お父さんと再会できたのは、本当に嬉しかったンだから」

「だったら、どうしたらいい? どうしたら輝は――」


 決まっている。

 余計なこと考えられないくらい激しく抱いてくれればいい。

 運命も罪も全て抱き寄せて――


 ――どちらにしても俺らは出会い、こうなる運命なんだよ、輝。


 その言葉そのままに。

 そうでしょう、健――



FIN


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