刹那にも

佐助×小十郎

 あのとある山での出来事から数ヶ月の日数が経っていた。
 いろんな意味で忘れていたい小十郎の元に、あの日の記憶が鮮明に呼び戻される、一通の手紙が届いた。
「小十郎、甲斐の虎から手紙が届いたって?」
「政宗様。はい、それが何故か私宛でして・・・・・・。如何いたしましょう?」
「行ってこいよ。直々の招待なんだろ?」
「はぁ・・・・・・」
 いまいち乗り気でない小十郎の間の抜けた返答に微かな疑問を抱いた政宗ではあったが、ここで断ったとしても先のことを考えれば、武田との人脈もないよりはあった方がいい。
 それに、このことで真田幸村との決着がまた延びるのも捨てがたい。
「命令だ小十郎。今すぐにでも行け」
 半ば背中を蹴飛ばす勢いで叩き出したのだった。



「よくぞ参られた、片倉殿」
 戦場で、遠目からしか見たことのなかった武田信玄が小十郎を迎え入れた。
 その信玄の横には真田幸村が従えている。
 猿飛佐助の姿が見えないが、彼のことだ、この状況が見える場所から様子を伺っているに違いない。
 内心、佐助の姿がないことに、小十郎は胸を撫で下ろしていた。
「さて、貴殿にはうちの忍びがえらく世話になったと聞き及んで、こうして呼び寄せたのだが・・・・・・。いや、本来であればこちらから奥州まで出向くべきではあるのだが」
 確か今は、宿敵上杉謙信との様子の伺い真っ只中であると、噂を耳にしていた小十郎は、出向けるわけがないことを悟る。
「いえ、そのようなことは。それに、世話になったのはむしろこちらの方」
「佐助より聞いている。しかし、忍びの身分である故、いささか失礼がなかったかと心配が消えぬ」
 幸村が言葉をかける。
「して、伊達政宗殿は何処に?」
 一旦言葉を切り、辺りを見回し小十郎に改めて声をかけた。
「政宗様は来ておりません。そう簡単に留守には出来ません故、察して頂けると・・・・・・」
「うむ、そうだぞ幸村。お前のように日々戦だ訓練だと言ってはおられぬ。上にたつ者とはそういうものぞ?」
「はぁ・・・・・・この幸村、まだ決着がついてはおりませぬ故、つい片倉殿と共に伊達殿も来られるものと思い込んでおりました。申し訳ない」
「ということだ、片倉殿。許されよ」
 信玄の言葉に深々と頭を垂れた小十郎は、恐れ多いお言葉―――と、返した。

「さて、本題に入るが・・・・・・」
 信玄の仕切り直しに、緊迫の空気が漂う。
「主、佐助に命を助けられておるだろう? かなりの深手を負って幸村と戻ってきおった。発端は、この幸村にも問題はあるだろうが―――どうだろうか、ここはひとつ、持ちつ持たれつということで、佐助の願いを叶えてやってはくれまいか?」
 やはり―――予感は的中した。
 あの時の山でのことを指している。
 確かに佐助に命を救われた。
 敵を引きつけてくれた事も、その前の出来事も―――
 手の感触が戻っていなければ、無事政宗とも出会えなかっただろうし、こうして五体満足でいられなかったかもしれない。
 佐助の願い―――恐らく別れ際に言った、あの事であろう。
「当の佐助殿は如何された?」
「佐助か? どこぞかで、しかとこの様子を見ていると思うが―――、幸村、呼んで参れ」
 信玄の言葉に幸村が退室する。
 甲斐の虎と対で向き合う、この緊張感。
 只ならぬ存在感が、ひしひしと押し寄せてくる。
 息苦しさも加わり、喉から口の中まで、一度に渇きだしたような気がする。
 ―――と、微かに空気の質が変わり、幸村が佐助を伴って部屋へと戻ってきた。
 あまり顔を合わせたくなく、心の準備も出来ていなかったが、信玄とふたりきりよりかは、幾分にも安堵できる。
「喜べ佐助よ。片倉殿が聞き入れてくれだぞ」
 佐助の顔を見るなり信玄が意気揚揚と囃し立てる。
 部屋に入ってきた時は一度も視線を向ける素振りをしなかった彼が、食い入るような眼で小十郎を捕らえて離さない。
 その眼差しが冗談で済まされないことを物語っている。
「準備は整っておるぞ、佐助。奥の部屋を使うがよい。さぁ、幸村、わしらは退散するとしよう」
 何か小十郎に言いたげそうな顔を見せた幸村を、半ば強引に引き連れて、信玄は退室をした。
 残された小十郎と佐助の間に、また重い空気が漂う。
 信玄の時とはまた違う、なんともいいようのない空気。
 立ち尽くす佐助は溜息をこぼし、数回頭をかくと、信玄が言っていた奥の部屋へと続くふすまを開いて、絶句していた。


「おい、猿飛佐助―――」
 なんと呼べばいいのか、なんと声をかければいいのか―――悩んだ挙句、一語一句読み上げるような感じで声をかけた。
 しかし、ふすまの奥を向いたまま、一向に何かをしたりする様子が見受けられない。
 待つよりも己の目で確かめる方が早いと悟った小十郎が、佐助の背後へと近づく。
 そして彼の肩越しから見れた光景に、佐助以上に絶句、身体の隅々まで硬直してしまえる程の衝撃であった。
「すげぇ・・・・・・さすが親方様だ」
 やっと声を出せるまで現実に戻ってこれた佐助が、信玄の計らいに深く尊敬と感謝の言葉を口にする。
「ふ、ふざけるな―――佐助」
 小十郎からしてみれば、大きなお世話とはまさにこのことである。
 開けられた部屋はまるで、夫婦の初夜を思わせる作り。
「いや〜感激だな。もうこの雰囲気だけでその気になれるよ、俺」
「帰らせてもらう。こんな茶番、付き合いきれん」
「っと、待った。帰さないよ。その覚悟で来たんだろ? 俺との約束、そう簡単に破棄はさせない」

 佐助との約束―――
 あれは約束だったのだろうか。
 あれは一方的に佐助が捨て台詞のように言っただけではなかっただろうか。
 小十郎は、わかったと一言も発してはいない、そう記憶している。

 佐助に腕を強く掴まれ、重心が後ろへと傾く。
「もしかして、これってあの時の再来?」
 佐助の茶化しと同時に、掴まれた腕から身体ごと、彼の身体にもたれかかってしまう。
 前屈みに重心を戻そうとするが、引っ張られる力の方が、断然有利だった。
 そこに布団がひかれているから―――そんな理由を言われそうな勢いで、なだれ込んでいく。
 気づけば小十郎の身体が、佐助の上に乗りかかり、押し倒したような、そう受け取られても弁解の余地がない状態だった。
「すまない」
 本心で思ったかは疑問だが、咄嗟に口から謝罪の言葉が飛び出し、身体を起こそうとした小十郎。
 だが、努力空しく再び佐助の胸板へと顔を埋める形となる。
「離さない。こんなおいしい体勢、むざむざ手放すものか。押し倒されるって、ドキドキするねぇ」
「って、そうじゃないだろ。離せ。茶番はここまでだ。充分だろう」
「まさか! ここからが本番でしょう。抱くって意味、ただ抱擁するだけだなんて、そんな歳でもないでしょう?」
 しっかりと小十郎の身体を腕に抱き、自分の身体ごと反転する。
 今度は小十郎の身体が布団の上に寝る形となる。
 被さった佐助の身体が隙間なく密着し、触れてくる個所が次第に面積を広げてくる。
「んっ・・・・・・」
 油断をしていたわけではない。
 そう来るだろうと、予測はしていたが、佐助の口づけは小十郎が思っていたよりもさり気無く、気づいた時には重なり合い、早くも舌が口内に侵入し絡み合う。
 こんな口づけを小十郎は知らない。
 口から脳内までを、まんべいなく掻き回されるような、こんな口づけ―――これからの自分の人生には関係ないものだと、拭い去ろうとするが、そう思えば思うほど確実にはっきりと身体に染み付いていく。
「はぁ・・・・・・ふっんっ・・・・・・」
 角度を変え何度も何度も触れ重なり合う唇。
 絹が擦れあう音は近くからなのに、遠くから聞こえるように感じてくる。
 手の温もりを直に肌から感じ、禁断の一線を越える段階が間近であることを流されていく感覚の隅の方で感じ取るが、拒むという手段まで気持ちが動かない。
 かといって、受け入れたいわけではない。
 麻痺していく感覚と感情に支配され、闘志が薄らいでいるのだ。
 それほど佐助との口づけは、神経全てを狂わせていた。

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