闇に映える桜 -左之×新八-

闇に映える桜

モクジ

  左之×新八  



 屯所の一角にある一本の桜が咲き乱れたその日の晩、闇夜には怪しい輝きをした月がその桜を照らしていた。
 黄色く優しい光を照らしていてくれていた月が、この夜だけは蒼白く輝き、まるで人の世のと人ではない者とが入れ替わるに相応しい情景に思えた。

「左之、か? そこにいるのは……」

 夜桜の怪しき妖艶に導かれたのか、はたまた蒼白い月の輝きに魅了されたのか、知らず知らず足が向いていた永倉新八は、桜の下にいた人の背中に声をかけた。

 浅葱色の隊服を羽織っていたその者はゆっくりと振り返り新八を見る。
 さっきまで黒い髪をしていたその者の髪は白に近い灰色に変色をしていき、新八はドキッとした。
 心臓が止まるという例えはこの時の為にあるかのような、驚きを感じていた。

「冗談、だろ……おい――」
 自分の目に映るこの現実を拒むように手で視界を払う。

「嘘だと言ってくれ、左之ーーーーーーー!」

 心の奥底から、魂の叫びのような悲鳴が屯所中に響いた。


 ◆◇◆◇◆

「飲みすぎだな……」
「まったくだ、夜中にとんだ迷惑だ。てめぇの管理もできないくらい酒に飲まれてんじゃねぇ」

 身体全体にぐっしょりと汗をかき、自分の声に驚いて目を覚ました新八は呆然と天井を見ていた。
 その脇で原田左之助が呆れ顔で座り込み、土方歳三が半ばキレかかった顔つきで仁王立ちしていた。
「左之……に、土方さん?」
 なぜこのふたりが自分の部屋にいるのか、新八には理解できないが、ふたりの表情からただごとではないことだけは読み取れる。
「俺、が……何か、したのか?」
 新八の記憶にあるのは、あの生々しい桜の下にいた左之の姿だが、今ここにいる左之はいつもと変わらない彼、ではあの左之はなんだったのだろうか、夢として片付けるにはあまりにも生々しい。
「どーしたもこーしたもねぇ。屯所中に響くような寝言いいやがって。とりあえず他の奴らは部屋に戻したが、どう説明するかねぇ……なぁ、土方さん」
「知るか! 一緒に飲んでいたおまえらでなんとかしろ」
「なんとかって……だったら平助も残せってんだ」
「何を言っている。新八はおまえをご指名だ。他の隊士に迷惑がかかる、責任もって静かに寝かせろ。じゃあな」
 そういい残し、土方は部屋を出ていった。
 残された左之助と新八はというと――

「迷惑、かけたみてぇーだな、俺」
 頭をポリポリかきながら言う新八に対し左之は大きな溜息をこぼす。
 いつもなら、ここでどつきあい笑って流すというのがふたりのやり方だが、どうもそういう雰囲気ではないらしい。
「なあ、新八。おまえ、どんな夢みたんだ?」
「どんなって……」
 そこまで言いかけ、言葉につまる。
 夢として片付けてしまうにはあまりにも真実みがありすぎる。
 既に隊士のひとりが羅刹化にほぼ成功をしてしまっている今、左之にだってそうなる可能性はあるのだから。
 明日か明後日か、1ヵ月後か?
 時期なんてわからないが、そう遠くない日になってしまう可能性は左之だけではなく、新八自身にも起こりえるのだと今になってその夢の恐ろしさにも似た感情が湧き上がっていく。
 背筋がゾクッとする。
 咄嗟に両手で自分の身体を抱きしめた。
「おい、新八? どこか悪いのか、おまえ……顔色、よくねぇな」
 身を乗り出し新八の額に手を添えようとする左之。
 だが寸前のところで新八の手で払われてしまう。
「なんでもねぇ」
「なんでもねぇ……って、おまえ。本当に顔色よくねぇぞ?」
「そう思うなら、あの蒼い月のせいだろ、きっと」
「蒼い、月?」
 障子が開けられたままの新八の部屋から、闇夜を見上げるとまだそこに月がある。
 新八はその月を指し蒼い月と言うが――
「おまえな、いくら酔っ払っているからって、月が蒼いはずねぇだろ。どうみたって丸くて黄色い月だ」
 左之には誰もが知っている月にしか見えない。
 蒼い月と言う新八を酔っ払い扱いして、ケラケラと笑う。
 そんな左之に対し新八は――
「左之!!!」
 左之助の肩を掴み声を荒げた。
「おい、新八!」
 つられて左之も声を荒げる。
 ふたりの声に隊士の数人が気付き、足音が響く。
「左之さん……」
 先に駆けつけたのは藤堂平助、土方によって自室へと戻されたが気になりいち早く駆けつけたのだろう。
 左之助を見て新八をみる。
 どうみても新八の様子がいつもとは違う。
 更に不安な顔つきでもう一度左之さん――と口にした。
「なんでもねぇ。土方さんに部屋に戻れって言われていただろ、平助。戻っていろ」
「でも、左之さん! 新八さんの様子……」
「言われなくてもわかっている。わかっているから、俺がなんとかするから、おまえは土方さんの言いつけ守って部屋にいろ。他のやつらもだ。ここには来るな。行け!」
 平助を諭し、他に駆けつけた隊士を散らし、今度は障子を閉め新八を布団へと戻した。


 ◆◇◆◇◆

「何があった、新八。酒に酔ったってだけじゃないだろ。俺と別れてから何があった?」
 言えるものなら言っている。
 聞けるものなら聞いている。
 新八の心の中はこのふたつの言葉が何度も繰り返されていた。
「新八!」
 待ちきれない左之が再び声を荒げ新八の身体を揺する。
 揺すられながら新八が小さく呟いた、ならねぇよな、おまえは――になんか、ならねぇよな?
「なに、なんだって、新八。俺が、なんだって? はっきり言え!」
「だから、ならねぇよな、おまえは……に、なんか……」
「おい、俺が何になるって? おまえ、いったい何を見たって言うんだ」

 満月の夜、月明かりに負け羅刹化した者が狂うと聞いたことがあることを左之は思い出す。
 まさか、おまえ……
「なっちまったのかよ……いつのまに。酔っ払って、間違えて飲んじまったじゃ洒落にならねぇぞ」
 尋常でない様子に左之は新八がなってしまったのだと思い込む。
 だが新八はいずれ左之もなってしまうのかという予知夢のようなものを見たと言えないでいる。
「洒落にならねぇのはこっちの方だ、左之。おまえ……おまえ……」
 なっちまうのかよ、いずれ、羅刹に――この言葉がなかなか口から出ていかない。
 喉で止まり口を閉ざしてしまう。
「……ったく、らしくねぇんだよ、新八。言えないなら言えるようにしてやるまでだ、新八」
 肩を掴んでいた左之の手に力が入り、そのまま新八を布団の上に押し倒す。
 着ていた着物は着崩れ、押し倒された勢いで更に肌蹴てしまう。
 肩から鎖骨、胸元までを露出して、覆いかぶさる左之を見上げた。
「左之、何する気だ? 冗談だろ」
「冗談で新八に手を出せるほど、今の俺は余裕がねぇ。おまえ、魘され寝言いっちまう程のものを見たんだよな、それって俺だろ? 単にひとり寝が寂しいのって冗談で俺の名前叫んだわけじゃないだろ。土方さんだって、それくらい見通して他の隊士下がらせ俺に一任させた。俺は俺で、変わる気はないし、抱いている志ってもんはそう簡単にどうこうなるもんじゃねぇ。いいか、新八。耳の穴かっぽじってよく聞け。俺はここにいる、この新撰組の中にいる。おまえと共に居続ける。そんな口約束じゃ心もとないっていうなら、お前の身体にしっかりと刻みこんでやるよ。俺って男の証みたいなものを」
「本気かよ、左之」
「ここまで言わせて、本気かって聞くおまえって、そんなに信用ねぇのかね、俺は」
「ちがっ、そうじゃねぇ。多分、おまえはずっと居ていくれるって思っている。けど、おまえのままか? 山南さんはあっちにいく決意をして、そうなった。おまえはどうだ? いつまでも『今』を維持し続けていけるはずがねぇ。そうなった時、おまえは。それでも……」
「新八、おまえのまっすぐで陰りのない言葉は嫌いじゃない。そういい切れるおまえを誇りにも思える。先のことはわからねぇなけどな、自分の意思で羅刹化するつもりは毛頭ない……って、おまえ、まさか」
「ああ、見たのは左之が羅刹化して桜の下に立っていた」
「立っていただけか?」
「ああ、呼んだら振り返ってくれて。けど、俺はその姿を受け入れられなくて……」
「ま、俺自身がそれを見たとしても、まず受け入れられないだろうな。けど、新八」
 言いかけてニヤリと笑う。
「な、なんだよ」
「いや、結構可愛いことしてくれるじゃん」
「は?」
「俺のことが心配で夢にまでみちまってさ。挙句、俺の名前をご丁寧に呼んでくれちゃって。その礼はしっかりとさせてもらう」
「礼? って、おい、左之。どこ触っている!」
「どこって、男が一番感じるところに決まっているだろ」
「き、決まっている? ば、ばか、離せ! 洒落にならねぇだろ」
「呼んだのはおまえだ、新八」
「呼びたくて呼んだんじゃねぇ」
「朝、土方さんや他の隊士に俺、なんて言われちまうんだろうねぇ。噂だけ勝手にひとり歩きってのも悔しいだろ? だったら噂じゃなくしてしまえばいい」
「はぁ? ちょっ、左之! やめろ! そんな、そんな力いれて握るな」
「握らなければいいのか?」
「え? だからって擦ることねぇだろ」
「硬くなっているぜ、新八。俺の手の中もなかなかだろ?」
「冗談じゃねぇ。おまえの手の中で感じているはずがねぇだろ」
「じゃあ、これはなんだ?」
 左之がさっきまで新八のモノを握っていた右手を彼の目の前に差し出す。
 指の間に少しだけ付いていた白い液体――
「握って擦っただけで……早いな、新八。ま、こんな男所帯だ、刺激不足だよな、お互い」
「お互いって……」
「ま、いいじゃねぇか。どうせ明日の朝には根も葉もない噂の的にされちまっているんだ。だったらその寝も葉もねぇ噂よりすげぇことしちゃおうぜ」
「しちゃおうって……簡単に言うな、左之」
「そうか? そりゃ、新八のが勃たなかったらここまでしなかったかもな」
「お、俺のせい?」
「そ、おまえのせい。夜中に俺の名前で叫んだ罰だ。ほら、身体の力抜け。それとも、してくれるのかな、俺の方にも。その災いの口で」

 その夜、俺はここにいる、変わらずここにいる――そう何度も新八の耳元で囁く左之助がいた。

 月は丸く蒼白く輝く、桜は色白な花びらを散らし、その下に眠る亡骸を覆い隠すようにいつまでも散っていた。

 浅葱色の隊服を着て白に近い色の髪の毛をしていたる隊員はひとりしかいない。
 だけれど浅葱の隊服の背中にくっきりと記される『誠』の文字、その文字の元に集まった者ならば、その姿になるのは自分かもしれない、その可能性を多く背負っている。

 次は自分か、それとも左之か――

 消えることのない不安を抱きながら新八は左之の温もりを身体全体で確かめ深く刻み込んでいた。

 夢は夢で終わることを願いながら――


  完

 
モクジ

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